| TOP | 番外編 | | 第01話〜第05話 | 第06話〜第10話 | 第11話〜第15話 | 第16話〜第20話 | | 第21話〜第25話 | 第26話〜第30話 | 第31話〜第35話 | 第36話〜第40話 | | 第41話〜第45話 | |
5月17日におじぃちゃんが永眠しました 小さい頃からおじぃちゃんは私の父親のような存在で いつも気にかけてくれていて 18歳まで一緒に暮らしていたせいか 大切な人を亡くしたことはかなりつらいことでした 東京への引っ越しも終わって やっと落ち着いた12日に 危篤の知らせをきいて実家に帰りました 病室に入ると 人工呼吸器をして IVHからはドーパミンを時間20mlで流してあり ノルアドなど多量に使ってました 胸腔内ドレーンもついていて 意識もなく 瞳孔も散大してました 緊張性気胸で左の肺はほとんど90%しぼんで 心臓も圧迫して 20分間蘇生してもらって それでどうにか持ちこたえてた状態の おじぃちゃんとの再開は言葉にでないものでした まだまだいっぱい言いたいことも 一緒にしたいこともあったのに・・・ 毎日夜は私がそばにいて 話したかったことを話かけて 好きだった歌も歌ったりしてました もしも おじぃちゃんが目を覚ました時に 側にいたいと思って 私と同じ形のおじぃちゃんの手を ずっと握ったまま離れませんでした 二人きりで夜を明かしました だめだろうけど もしかして もう一度元気なおじぃちゃんをこの目でみれるかも しれないという期待もいつも持っていました 息を引き取とったとき私とおばといとこがそばにいました 血圧が前日から60台しかなくて その日は30台で経過してたのですが 血圧が測れなくなるまで呼吸器と合わない自分の息をしてました 苦しそうで 本当にみてられなかったです そしておば達が帰ろうとしたとき 徐々に血圧がさらに下がっていきました 血圧が測れなくなった時に 「じぃちゃん もうがんばらんでよかよ もう自分で息ば せんでもよかよ」と 私が声をかけると 3回静かに息をしたあと 自発呼吸はなくなり 子供のような表情になり 5分後に死亡しました 午後10時40分のことでした 病院での5日間じぃちゃんのために いろいろしてあげられて本当にうれしかったです 看護婦であってよかった そして おじぃちゃんがしんどいときに 側にいてあげられて 本当に私は幸せでした じぃちゃんが危篤になる前に 「家族と話ばしたかぁ〜」 「(イレウスで絶飲絶食だった)冷たい水ば 腹一杯飲みたかぁ〜」など言ってたそうです じぃちゃんが 私にしてくれたこと忘れないです そして いつまでも 私のことを 近くで見守ってくれてることも知ってます 本当に おじぃちゃん長い間よくがんばったね 病気と闘い続けて苦しい人生だったかもしれないよね 脱疽で両足を切断して 心筋梗塞・脳梗塞・肺炎・糖尿病 高血圧・喘息・薬物アレルギー・・・・ いろいろな病気に気力で闘って それでもいつも前向きで 80歳までは生きると言ってたように 80歳まで生きてくれました 足がなくても ボートに乗って一人で夜釣りに出かけたり セニアカーを乗り回して いろんな写真を撮りに行ったり 行動派で意志の強いところ 尊敬しています いつまでも私の一番の理解者でいてください いく 掲示板やメールで私に励ましの言葉や 追悼の言葉を多くいただきました 本当にありがとうございます これからも みなさん よろしくおねがいします |